授業の現場から

授業の現場から…

社会の歴史の授業の中で、有名な歴史上の人物の説明をしていました。
たまたまその人物と同じ姓を持つ生徒が、「同じ姓を持つということは、自分の先祖かもしれない。だから自分はみんなと違って偉いんだ」みたいなことを言い出しました。
別に本当に自慢したいとかではなく、その場をおもしろおかしくしたいだけの思いだったように感じたので、
そのまま流してもよかったのですが、思い切って踏み込んで話をしてみました。

歴史の勉強をすると、重要な人物の名前が出て来て、覚えなければなりません。
確かに、歴史の転換点を作ったとすれば重要だと言えます。
しかし、この人あるいはそのグループだけで社会や国は存在・継続できなかったはずです。
それを成り立たせて来たのは、名もなき大多数の人たちです。いわゆる「民衆」や「大衆」です。
彼らの生活や思いに目を向け感じようとすることが、歴史を学ぶ重要なポイントの一つだと先生は思っています。
福沢諭吉は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言いいました。
正にその通りで、人や職業などに上下はないのです。
そのことだけは理解して欲しいと思います。

以上のように伝えました。
そして最後に、いつもの質問をしました。
「東大寺の大仏を作ったのは?」
生徒たちは迷わず以下のように答えました。
「大工!!!」

本当ならば正解は「行基」であり、それは生徒たちも知っています。
しかし、工事や作業で実質的に作業をしたのは名もなき大工の方々です。
普段から、冗談半分でこうしたやり取りをしているのは、彼らに視点の切り替えや見えない部分を見る力を養いたいと思っているからです。
今回も、期せずしてとても良い勉強の機会となりました。
私の話を聞いてくれ、目を輝かせている子どもたちの顔を見るだけで、私の方こそ生かされている感覚になります。
こうした相互作用こそが、教育の本質だと思うのです。
後は、彼らが学びを継続し彼ら自身の生き方に結びつけていってくれることを、ただただ祈ります。

長文失礼しました。

カテゴリー: 学習塾部門 パーマリンク