前回は、「教育の本質は人が人を育てること」というテーマについて一言申しました。 第2回となる今回は、現代社会でよく耳にする「効率」について、そしてAI時代における私たち人間のあり方について考えてみたいと思います。
- 「すぐ答えが出る」ことの危うさ
今は、何事も「そつなく、器用に、効率的に」こなすことが求められる時代です。 わからないことがあれば、AIに聞けばすぐにもっともらしい答えが返ってきます。しかし、果たしてそれは本当の意味で「効率的」なのでしょうか。
「答えがすぐに出る」ということは、見方を変えれば「人が考えることをサボっている」ということでもあります。
悩んだり、深く考えたりするプロセスを放棄してしまえば、私たちは次第に思考力を失い、いずれAIに使われる側になってしまうでしょう。
- 効率やロジックでは割り切れないもの
もちろん、最先端のシステムやAIを否定するわけではありません。効率やロジックだけで割り切れる仕事は、すべてAIに任せればよいのです。
しかし、私たちの生きる世界や教育の現場には、効率だけで片付けられないものがたくさんあります。
- 誰かの涙に共感すること
- その痛みや喜びを引き受けること
- それを原動力に変えて「泥臭く」動くこと
これらは、血の通った人間にしかできない大切な営みです。
- あえて「悩む時間」を大切にする
正解のない問いに傷つき、打ちひしがれても、自分の頭で考えることをやめないこと。即ち、自分で言葉を紡ぎ続けることが「生きている」証しだといえるのではないかと思う次第です。
AIが瞬時に答えを出してくれる時代だからこそ、私たちはあえて「立ち止まって悩む時間」を大切にすべきです。すぐに答えを求める「効率」だけを追い求めるのではなく、一見すると非効率に思える葛藤やモヤモヤとした時間の中にこそ、人間として成長するための大切な要素が隠されていると確信しています。